恩師がくれたカメラを質に入れるほど金に困窮した男の末路

40代、男性、東京都在住

映像の専門学校を卒業後、都内の小さな映像技術会社にカメラマンとして就職した10年ほど前は、映像業界の未来も明るくまだまだ景気も良かったこともあり、次から次へとくる需要をこなしていくのに一息つく間もなかった。

主な受注は、企業のプロモーションビデオの撮影、販売ビデオコンテンツの収録、結婚式の撮影等、フットワークの良い社長はそれこそなんでも仕事を取ってくる人で、我ら社員はその一つ一つをこなすのに精一杯、ただまだ若かったので日々充実感を味わっていました。

30代後半、仕事を覚えると冒険がしたくなる。

自信もあり私はフリーランスとして独立しました。

しかし時代は代わり映像業界は衰退の一途、景気はガタ落ち、しかも今や一般人でもカメラ撮影はできるようになり、どこにも映像撮影の需要がなくなりました。

いや時代のせいではありません。

わたしの実力が無かったのが原因です。

なぜならその会社はまだまだ順調に仕事をこなしているからです。

社長が偉大だったのだと改めて気付かされました。

思い起こせば、何も知らない私にカメラの撮り方はもちろん、人間として未熟だった私に厳しく指導してくださり、独立出来るほど一人前に仕事が出来るようになったのもすべて社長のおかげです。

仕事が遅く帰れなくなった時は自宅に招いていただき、大切そうにしまっていた年代物のワインを開けてくださったり、趣味のオールドカメラのコレクションの自慢を一晩中聞かされたり、それはそれはお世話になりっぱなしで、それなのに私が独立したい旨を打ち明けた時には、一つ返事で了承してくださっただけでなく、餞別がわりにとオールドレンズのコレクションの一つ、年代物のニコンを頂きもしました。

数ヶ月前、収入のない私はアパートを出て行く行かないの瀬戸際に立たせれていました。

私はニコンを手に新宿に。風景、人波を撮影するためではありません。

なぜなら帰りにそのニコンはなく、代わりに数万を握りしめていたからです。わたしはカメラを売っただけではなく、恩師を売ったのです。

罪悪感でその日は眠れませんでした。

それなのにそれなのに、後の無いわたしは何食わぬ顔で恩師に会いに行きました。

自分の今置かれている状況を話し、お金を貸していただきたいと申し出ました。

しかも子供が出来たと嘘の赤ちゃんの写真を見せて同情をかってまで。

なぜこのような卑劣なことが出来たのか、冷静な自分でないことは確かです。

人は生きるか死ぬかの立場になるとこうまで落ちてしまうのか、その問に答えを出す余裕すらなくなります。

社長はわたしから写真をとりあげると、「かわいいな。おまえ水臭いぞ。結婚したことも知らなかったのに子供が出来たなんて。

これミルク代だ」と財布から無造作に札束を取り出すと「でもな、やるわけじゃない。ちゃんと返しに来いよ」と帰って行きました。

お金は30万もありました。わたしは今、昼は日雇い労働、夜はコンビニでアルバイトをしています。

身体は悲鳴をあげていますがこれは自分への戒めであり、一日も早く恩師にお金を返すために。


サブコンテンツ

計画的な利用が必要です

このページの先頭へ