大阪府40代男がメガネ屋を開業、借金まみれでこの世から消えようと思った

借金との出会いは20年ほど前に自分で店を構えようと夢を追いかけた事が原因で始まりました。

まず自己資金が全く無かったにもかかわらず開業しようとしたので親への借金からはじまり、次に国民金融公庫(現・日本政策金融公庫)からの借入で合計800万円ほどの借金をかかえました。

業種はめがね屋で中堅のチェーン店で店長をしていた経験から儲かると信じて始めたのですが、当然大金を借りるのですからこれからの計画などを書面にして親を説得し国民金融公庫も審査を通しました。

しかし若さと甘さで業績は上がらず売り上げゼロの日も珍しくありませんでした。

当然店舗の家賃や光熱費も払わなければなりませんし、生活費すら出てきません。

そのために内職や夜間のバイトもしましたが、足りない分はクレジットカードのキャッシングに頼りました。

今のような規制もなかったので当時は次から次へ簡単にメジャーなカードがつくれました。

もう少し頑張れば店も何とかなると無理やりに信じて借りては返しの繰り返しで何とか日々をすり抜けていたような生活でした。

店は3年続けましたが、その間に親が心配して知り合いをお客さんとして連れて来てくれたりで簡単には閉めれないという強迫観念のようなものが閉店を遅らせてしまいました。

ですがやはり駄目なものは駄目。3年で店を閉めその時初めて死を考え遺書を書いたりしました。

今から考えると本当に死を考えたのだろうかという疑問もあるのですが、その時はきっと本気だったのでしょう。

その後当座の支払いは親に肩代わりしてもらい全く別の業種に再就職をしました。

子供も小さかったので何でもやってやると半分開き直って就職したのが今の会社です。

借金は親・国民金融公庫・クレジットカードに加えてサラ金まがいの無名のキャッシングにまでひろがっていました。

先程も書きましたが、その当時は規制も緩くいろいろな会社がキャッシングという簡単なかたちで融資してくれました。

借りたら返す…そんな当たり前の事が出来なくてさらに借金を重ね、再就職しても毎日のように催促電話がかかってきました。

その頃にはすでに携帯電話が出始めていて会社に直接電話がかかってこなかった事が救いでした。何をされるわけでもないのに催促の威圧的な声におびえる日々でした。

親も私のために退職金を使い果たしてしまい、私も働けど働けど借金は減らず途方に暮れていた時、新聞のチラシに近くの郵便局にそういった借金の相談に弁護士の方が来られると入っており、私は駄目もと半分、すがる思い半分で予約をし相談にでかけました。

すごく親切で優しい弁護士さんでした。

その時出た話は”破産”。縁のない話だと思っていたことが私には”破産”しかないと勧められ、その気があるならと名刺をいただきました。

後日事務所に伺い話し合った結果”破産”の道を選びました。会社にはわからないことですが、手続きに休みをとったりしないといけないので信頼のおける上司には報告しました。

その結果無事に手続きは完了し電話におびえることもなくなりました。

それからは苦しいながらも現金払いの生活を続け、現在では分譲マンションをローンで買うことも出来るようになりました。

親に感謝。弁護士の先生に感謝。上司に感謝。そして家族に感謝です。


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